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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和54年(う)56号 判決 1981年4月14日

主文

被告人Bの本件控訴を棄却する。

被告人Bにつき当審未決勾留日数中六五〇日を同被告人に対する原判決の本刑に算入する。

原判決中被告人Aに関する部分を破棄する。

被告人Aを懲役一三年に処する。

被告人Aにつき原審未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入する。

被告人Aから押収にかかるけん銃(回転弾倉式三八口径×三一八〇)一丁、同(回転弾倉式三二口径番号七二七×〇)一丁、実包(三八口径回転弾倉式けん銃用)五発(うち一発は試射済)、同(三二口径コルト式けん銃用)三発(うち一発は試射済)、空薬きょう(三二口径コルト式けん銃用)二個、弾丸(三二口径長さ一・四センチ)一個、同(三二口径長さ一・二三センチ)一個を没収する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人Bの弁護人田中勇雄、同泉政憲、同菊池利光、同川崎敏夫、同北尾強也、同渡邊俶治名義の控訴趣意書及び被告人Aの弁護人松浦陞二、同岩淵正明名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

被告人Bの弁護人田中勇雄、同泉政憲、同菊池利光、同川崎敏夫、同北尾強也、同渡邊俶治の控訴趣意第一点(訴訟手続の法令違反)の所論は要するに、被告人Bに関する原判示事実認定の唯一の証拠であるAの検察官に対する供述調書二通(昭和五二年六月二〇日付、同月二一日付)は、左記いずれの点からしても証拠能力を認めるに由ないのに、原審がこれを採証して被告人Bの犯罪事実認定の証拠としたのは、その訴訟手続が法令に違反したものというほかなく、右訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのであり、同控訴趣意第二点(事実誤認)は、その記載内容が余りにも簡に過ぎ、矛盾に満ちていて、しかも確たる裏づけ証拠もなく、到底信用できないAの右検察官に対する供述調書二通の記載を信用して、原判示事実を認定し、なんらそのような所為に及んでもいない被告人Bを原判示殺人教唆罪等に問擬した原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

Aの前記検察官に対する供述調書二通に証拠能力が認められない理由

1  前記Aの検察官に対する供述調書二通は最高裁判所昭和三六年一一月二一日決定により許容される限度を遥かに越えてAに対し本件公訴が提起された後に同人の被告人たる立場を無視して取調を行った結果作成されたものである。

2  当時Aは本件により勾留中で接見並びに文書授受禁止の裁判を受けていたのに同人の取調に当たった司法警察員堂山警部補は三回にわたり内妻C子(後に婚姻して正規に妻となった)と長時間面接させ、右Aの所持金を同女に届けてやったり、更に大阪市内のスナック店で堂山警部補自身C子と会見して親切な話をし、また共犯者Dと電話連絡をすることを認める等高度に違法な措置をして右Aに恩を売り、また歓心を買い、同人に教唆者が何人であるか等に関し取調官に迎合する供述をせざるを得ない様に心理的強制を加えてかかる違法な取調の結果Aに殺人を教唆し兇器の拳銃等を提供したのは被告人Bである旨の供述をさせて、これを記載した供述調書を作成したものであるから、右供述調書が違法収集証拠として証拠能力を欠くことは勿論であり、原判決もこの理を認めたものであるところ、前記二通の検察官調書を作成した検察官検事高木康次の取調は前記堂山警部補の違法取調のAに対する影響を遮断するなんらの措置をもとることなく、その瑕疵をそのまま引き継いでなされたものであるから、堂山司法警察員調書と同じ法理により証拠能力を否定すべき違法収集証拠であって、その証拠能力は否定せらるべきものである。

3  前記Aの検察官に対する供述調書二通は、前記堂山において連日長時間執拗に教唆者名を述べるよう強制し、その他前記のような心理的強制を加え、更には内妻C子との面接、便宜な取計らい、教唆者名を述べれば刑期も短くなるなど申し向ける等の利益誘導をしてAを取り調べ、高木検事においても右違法性をそのまま引き継いだ取調をした結果作成されたものであるから任意性を欠き、従って被告人Bの関係においても憲法三八条、刑事訴訟法三二五条、三一九条により証拠能力を欠くものというべきである。

4  前記Aの検察官調書二通はその取調方法が違法、不当である点からしても、またその内容が余りにも不合理で矛盾に満ちている点からしても刑事訴訟法三二一条一項二号に規定する「公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況」が存在しないことは明らかであるから証拠能力を認めるに由ない。

《中略》

五 被告人Aらによる本件犯行とその逮捕、勾留、公訴の提起について

かくして被告人A及び前記E、D、Fは原判示第一(二)の兇器を使用して原判示第一(一)(1)(2)の兇行を敢行し、その直後四名ともに同一の自動車に乗車して片山津方面に向けて逃走し、途次被告人Aはできるものなら逃亡したいと考えてDとともに下車したが、福井県坂井郡丸岡町内で警察官の職務質問を受けて昭和五二年四月一五日丸岡警察署まで任意同行し、そこで逮捕され、EはFを伴い同月一三日午後一時三〇分過ぎころ福井県坂井郡丸岡町女形谷所在の公衆電話六六―三九〇四番から福井県警察本部にX殺害の犯人はG組若者頭のこのEである旨通報してFとともに逮捕され、右四名とも逮捕に引き続いてそれぞれ勾留され、同年五月五日原判示第一の各事実につき、福井地方裁判所に公訴を提起された。

勾留日、勾留場所、移監の状況は次のとおりである。

被告人A(被告人Aは昭和五二年五月五日公訴の提起を受けるまでは勿論被疑者の立場に立っていたにすぎないが、以下には便宜上被告人Aと記載する。)

昭和五二年四月一六日福井警察署留置場に勾留、同月一九日武生警察署留置場に移監、同年七月二七日福井刑務所に移監、昭和五四年四月五日金沢刑務所に移監、その間昭和五二年四月一六日公訴提起に至るまでの接見禁止の裁判を、同年五月五日(公訴の提起日)、同年六月四日までの接見禁止の裁判を、同日、同月二七日までの接見禁止の裁判を、いずれも検察官の請求に基づいて受け、また糖尿病の疑があって治療の必要性等診断のため、検察官の請求により同月七日、同日から同月二七日までの間医師高原正好との接見を許可(但し同月八日検察官の請求により面接を許可する医師を石坂為久に変更)された。

右勾留の期間を通じ、被告人Aの健康状態は、肝機能が幾分低下していたためと軽症の部に属するとはいえ糖尿病に罹患していたため、普通正常の健康人に比べれば些かは劣っていたものの、右は本件で勾留されるずっと前からのいわば持病的なもので本件逮捕、勾留によりそれが悪化したような事情はなく、また勾留中の取調にも十分堪えることができたものであって、右疾病による羸衰のため取調の際心神に相当程度以上の苦痛を感じたり、又はこれを訴えたりした事実は全く認められない。

《中略》

六 司法警察員警部補堂山衛及び検察官検事高木康次の被告人Aに対する取調状況

被告人Aは武生警察署留置場で取調を受けたが、その取調に当たった捜査官は司法警察員警部補堂山衛及び検察官検事高木康次であって、堂山警部補は被告人Aのほか、内妻C子からも本件に関し事情を聴取してその供述を記載した調書も作成した。

被告人Aは取調当初の段階から自己の罪責は全面的に認めたが、それはFからX殺害の相談を受けて賛成し、Eとも謀って被告人Aが「ケンちゃん」と称する者からかねて購入しておいた拳銃を使用したものである旨説明し、右供述は実態に合致しない不合理な説明で背後で指示した人物を秘匿するため捏造した虚構に過ぎないのではないかと判断した堂山警部補は被告人Aから背後事情の詳細な供述を引き出す努力をする方針を固めたものの(前項一に認定したやくざ組織間の対立、抗争状況の概要、原判示第一の各犯罪実行者らの地位と経歴、右各犯罪の態様等既にそのときまでに捜査官に判明していた諸事情を総合すれば、右堂山警部補の判断方針が然るべきことは当然である。)、被告人Aが内妻C子を深く案じ、その健康や将来の生活のことなどを思い遣り、自身の刑期の長短を気にかけ、事件を敢行するに至った不幸を嘆じ、心機の動揺常ない態である風を看破し、その供述の矛盾点や不合理性を鋭く突いて質問し、峻厳な態度で望む方針は排し、むしろ寛厚、温情をもって接し、被告人Aが自然事実の詳細、背後事情を供述するように導く方針を採り、真実を述べれば裁判所の刑は必ず軽くなる旨を述べるなどして供述を促し、更には後記のとおり接見禁止中の被告人Aと内妻C子とを秘密裏に面接させ、また右C子のための便宜をはかる等した。すなわち

1 堂山警部補は昭和五二年五月九日被告人Aとの正規の婚姻入籍について話をしたいからとて武生警察署を訪ねたC子を自己の独断で接見禁止の禁を犯して接見させるのであるから他警察官が在署している勤務時間中では具合が悪いからとて夜間に時間を指定し午後八時ころから約一時間かそれ以上にわたり被告人Aと面接させ、右入籍やC子の低額住居への転居の相談等をすることを許容し、同月二四日には同日早く入籍手続を済ませた旨の報告に同署を訪ねた同女(同日C子は被告人Aの妻となった。以下にはC'子又はC子という。)を前同様の理由で夜分午後九時ころから約一時間被告人Aと面接させた。

なお右二回の接見禁止中の接見交通許容のほかに原審証人C'子は同年四月二八日午後三時ころ武生警察署でC子の方から頼んだのでもないのに堂山の方から被告人Aと独断で面接させてやると述べ、取調室で会談し入籍の話をした旨述べ、被告人Aも原審第二回公判期日に被告人B関係の事実の証人として接見禁止中C子と二度か三度面接し、昼に会ったこともあるし夜のこともある旨述べるので、同日にも面接させているのではないかとも考えられるが、他面入籍の相談がなされたのは五月九日であることはほぼ確実であって、被告人Aの原審第二回公判期日における供述(但し証人としての供述)は、婚姻を証明する書面をもって来たのは二回目の面接のときである旨述べるうえ、前記証人C'子の供述はその他の部分において俄に信用できない不自然、不合理な部分を多く含むので、四月二八日面接し会話した事実を確認することはできないが武生警察署内で被告人AにC子が面接に来た事実を確認させるため堂山警部補がC子と被告人Aとを相互に望見せしめたような事実は大いにあり得ることと考えられる。

なお原審証人堂山供述中には右C子と被告人Aとの接見禁止中の面接許容について高木検事の取調担当以前に一時被告人A関係事件の取調を担当したことのある加藤検事に接見禁止の裁判の一部解除を得てからにしようかとの相談をしたことはあるが、そのままになった旨述べる部分があり、右によれば検察官においても接見禁止の裁判の一部解除を得ることなしに被告人AをC子と接見させることを認めていたのではないかとの疑を容れる余地はある。

また被告人AはC子との接見を許容されたことに対しC子退去後堂山警部補に深く感謝の意を表明したのみならず、後日高木康次検察官の取調を受けた際、右接見の事情を説明することにより禁を犯して便宜を計ってくれた堂山警部補に迷惑が及ぶことをおそれ、全くこれに言及しなかったこと、及び五月九日入籍相談の件は服役期間が一〇年になるとも一五年になるともわからない以上自分からは言い出せないと感じ、被告人Aから先ず意見を述べる挙には出なかった事情が認められ、右によれば被告人Aが堂山警部補の取調が温情的であるのを深く感謝していた事実及び少くとも五月九日の時点においては堂山警部補の刑期についての説得から殺人教唆の事情の供述をすれば自分の刑期が三年とか五年で済むかも知れないなどとの希望を持つに至ってなどいなかった事情を十分推認することができる。

右両度あるいは三度の接見交通中堂山警部補が武生警察署で被告人AとC子との情交や抱擁、愛撫行為は勿論、手を握り合う程度の行為をも許したようなことは認められない。

2 堂山警部補は昭和五二年四月二八日C子が武生警察署を訪ねて来た事実を被告人Aに伝え、衣類差入依頼を同女に伝えた上、かねてから述べていた被告人Aの希望の改めての申出により同署の保管にかかる被告人Aの所持金約七〇万円中の六〇万円を右希望申出の時間が既に通常の保管金引出事務時間経過後であったので、時間外にこれを特に引き出して同夜C子が宿泊した福井市内赤星旅館のC子使用室まで単身赴いてこれを交付し、被告人Aが原判示第一(一)1の犯行の教唆者が被告人Bであることを堂山に供述し、被告人Bが逮捕される前の同年六月一四日、逃亡したHの所在捜査等のため大阪市に出張した機会に、市内のスナック店にC子を呼び出し、単身会見し同女の身の保全に配慮し今後は組関係者を頼ったり、交際したりすることは十分慎むよう述べてそれとなく被告人Aの教唆者供述の事実をC子に仄かし、その行動の自重を求め、同年九月一日にも大阪府阿倍野警察署でC子と面接した。

堂山警部補は右のほか昭和五二年五月二三日接見禁止中の被告人Aに福井警察署留置場に勾留されて同様接見禁止中のDと電話連絡をして会話することを裁判所の許可を得ずに許した。

3 右のとおりの取調の経緯中において被告人Aは公訴を提起された直後の昭和五二年五月六日ごろからその犯行は絶対に名前を出せない何人かの教唆によるものである旨供述し、同月九日に至り、刑を長く勤めた後また極道生活ができるとも思えぬし、堂山の説得も理解できるから一週間考えさせてほしい、背後事情を供述した場合C子の身の安全は大丈夫であろうかなどと述べ、同月一六日堂山警部補の取調に対し、「自分はやくざをやめる決心をした。チャカ(拳銃)は親分(被告人B)にもらった。親分から電話で呼び出され、殺人の教唆を受けた」旨供述し、堂山警部補は右供述内容を調書に作成した(なお、被告人Aは同年四月二八日後記Hの名前を出すに際しても三日程考えさせてくれと言い、熟慮の末に供述した。)。

4 堂山警部補が右供述調書を作成した後、高木検事が被告人Aを取り調べ所論の検察官調書二通を作成するに至るまでの原審証人堂山衛、同高木康次の供述内容はおおむね次のとおりである。すなわち

堂山供述は、五月一六日付被告人Aの司法警察員調書を作成した後その供述の真実性の裏づけ捜査は被告人Bを逮捕するまではせず、右調書は六月七日までは(但し当初は六月二〇日までと述べ後に同月七日までと訂正する。)堂山の鞄中にしまって置き、その事情を検察官には勿論、捜査上の上司にも全く報告してない。そのように供述を得た事情を上司にも報告しなかったということはそれまで警察官として従事した捜査についてはした経験がない旨述べ、右高木供述は昭和五二年五月下旬堂山警部補ほか一名の捜査官から被告人Aが教唆者名を供述した旨聞き、六月七日別件公務で武生に赴いた際武生警察署に立ち寄り、同被告人に会ったところ、同人は机上に俯し、慟哭しつつ教唆者が被告人Bであることを供述したが、その時の会話は一〇分程で終り、調書作成補助事務に従う検察事務官も同行していなかったことと、被告人Aが向後右供述を翻すおそれがないことを確信できたので、Hの逮捕をまって一気に事案の全容を解明したいと考え、また親分名を出した被告人Aの心情を汲んでできるだけ右供述の事実を秘匿しておいてやりたかったことのため六月二〇日までは右供述内容を調書には作成しなかった旨述べる。

しかしながら殺人教唆者名のごとき重要な事情の供述を得てその司法警察員調書を作成しながら右事実をかなりの期間全く上司に報告しなかったり、また供述を得た後右の如き理由で検察官調書を作成しないというのは甚だしく不自然、不合理なこと(現に被告人Aは自ら申し出て同年九月一八日及び一九日右供述を翻し、原審及び当審公判廷でも被告人Bの教唆を否定し、また高木検事は右被告人A供述を得てそれほど日時も経過していない同年六月二〇日及び二一日まだHが逮捕されていないのに被告人Aの検察官調書を作成している。)であって右堂山、高木供述から、直ちにその内容に沿う事情を認定することはできず、高木検事は堂山警部補が接見禁止の裁判を犯して被告人AとC子とを面接させたことを知っており、堂山警部補が五月一六日作成した前示司法警察員調書の証拠能力がそのために否定されしかもその瑕疵違法が検察官調書にも引き継がれると評されることがあるかも知れないことをおそれ、司法警察員調書の証拠能力が違法収集証拠として否定される場合原判決の説示するような理由でその違法性の承継が否定されることを所期して被告人Aの検察官調書の作成時期を遅らせたのではないかとの疑を挾む余地はある。

なお、被告人Aが被告人Bに教唆されて原判示第一(一)1の殺人を敢行した旨供述した際被告人Aがそれまでずっと続けてきたやくざ生活をやめる心情になっていたこと及び感情が嵩ぶって激しく歔欷したことは被告人Aの原審及び当審供述によっても十分裏づけられる。

5 かようにして高木検事は昭和五二年六月二〇日及び同月二一日それぞれの日付の原判示第一(一)1の殺人罪の教唆者は被告人Bである旨の被告人Aの供述調書を作成した。

《中略》

控訴趣意第一点について

1 起訴後においては被告人の当事者たる地位にかんがみ、捜査官が当該公訴事実について被告人を取り調べることはなるべく避けなければならないことは最高裁判所昭和三六年一一月二一日第三小法廷決定(最高裁判所刑事判例集一五巻一〇号一七六四頁)の示すところであるが、前記事実認定一乃至五に認定した各事情のうち被告人Aに対する本件公訴提起当時捜査官に概略は認識されていたやくざ組織とその対立抗争関係、被告人Aら原判示第一の各犯行の実行正犯者らの組織上の地位や相互関係、右各犯行の罪質、態様を総合して勘案すれば、被告人A並びにE、D、Fが独自の認識、決断に基づいて右各犯行を実行をしたとする供述内容の真実性には著しい疑問がもたれ、むしろ右四名以外のやくざ組織上の地位上位者によってX殺害が企図され、この企図、それによる教唆に基づいて組織上下位の立場にある右四名においてX殺害等の各犯罪を実行したのではないかと疑うのは当然のことであって、右の背後事情について起訴後被告人の地位に立つに至った被告人Aに対し供述を求めてこれを取り調べることは同被告人に対する公訴事実の背後事情、犯行に至る経緯についての捜査をするという性格を一面において帯有することはいうまでもないが、それよりもむしろ右背後でX殺害を企図した者を割り出し、これに対する刑責を追及するための捜査である性格を遥かに強く帯びている事情を否定し得ず、しかも右背後事情の捜査のためには被告人A、E、F、又はDから供述を得てゆく以外に適切な方法は見当らず、そのうえ被告人Aの心情が動揺してその経験した背後事情を供述するかも知れない蓋然的希望が相当あったのであるから、被告人Aを起訴後認定のとおり昭和五二年六月二一日に至るまで取り調べたからといって、それが右のとおりまことにやむを得ない事情によるものである以上前示最高裁判所決定の示す法理上許されないものであるなどとはいえず、ましてかくして得た被告人Aの供述を記載した供述調書が、第三者である被告人Bに対する公訴事実証明のための証拠として許容されないなどとは到底いえない。

2 勾留されている被告人(または被疑者、以下同じ)に対する接見交通禁止の裁判は被告人に逃亡し又は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当の理由がある場合、これを防止するため、普通なら当然認められている第三者(弁護人又は弁護人となろうとする者を除くことは勿論以下同じ)との接見交通等を禁止する裁判であって、これが当該被告人にとって不利益な裁判であることは勿論であり、またその一部解除等の裁判を得ないで検察官、司法警察員等の捜査機関が被告人と第三者とを接見交通等せしめることは少くとも公訴の提起後には許されないこともいうまでもなく、前記事実認定五、六項に認定した司法警察員堂山警部補による被告人AとC子との面接許容は右の一般的意味での違法性を備える以上に他警察官の勤務時間終了後に取調室で同警部補のみの立会下に内縁関係の夫婦(五月九日の段階では夫婦)を面接せしめる点で、また認定の同警部補のC子との会見も同警部補が単身旅館や喫茶店で事件関係の女性と会見するという点で種々の疑惑を招きかねない軽卒な所為であるとの譏を免れず、しかも、被告人Aが多分はC子を瞥見程度はしたものと認められ、堂山警部補により六〇万円の所持金をC子に届けてもらうという便を計ってもらった四月二八日にHがX殺害に関係している事情の一端を明らかにし始め、C子と面接し婚姻、入籍の相談をしたと考えられる五月九日、気持を整理するからとて一週間の余裕を求め、同月一六日教唆者がBである事情を供述した事実に徴すれば、被告人Aの原審・当審における供述内容がどうであれC子との面接とX殺害の背後事情を供述しようと思った心理過程間にある程度の関連のあることはほぼ確実であると評すべきである。

しかしながら堂山警部補の独断でなされた被告人AとC子との面接は、認定のとおりの内容のものである限り認定の裁判所の接見交通禁止の裁判によって奪われ、それがなければ被告人Aに当然認められているC子と面接する利益を違法に同人に与えたもので同被告人に認められる重要な権利をなんらかの意味で侵害したものとは考えられないし、また刑期のことを気にする同被告人に対し真実を供述すれば裁判の刑も軽くなる旨述べて供述を説得したからとて、それは一般的にあり得る利益の説明をして真実を供述しようとする心機に傾くよう説得する程度のものにとどまるものと認められ、司法警察員堂山警部補が裁量的に行使し得る権限を不当に行使して同被告人に法外な利益を与える旨約束したり、又はそのような利益を与える権限があるかのように偽り欺いて誘導的に供述を求めたりしたものとも解せられないからその取調過程に認定のとおりの堂山警部補による違法な接見許容行為等があったからといって、その取調の結果得られた被告人Aの司法警察員に対する五月一六日付供述調書が、同被告人の関係自体においても違法収集証拠としてその証拠能力を否定されるいわれはなく、ましてこれが被告人A以外の者との関係でも絶対的に証拠能力を否定されるべきものであるなどとは到底いえず(なお、堂山警部補は接見禁止中に被告人AとDとの電話通信をも許したがそれは同被告人がその教唆者が被告人Bである事情を供述してからかなり後の五月二三日のことと認められるので前記五月一六日付被告人Aの供述調書の証拠能力を判断するについて関係がないと考えられ、また右被告人Aの五月一六日付司法警察員調書は被告人B及びその弁護人の証拠とすることについての同意がない結果同被告人の関係においては犯罪事実認定の用には供し得ないことになるが、それは勿論別個の問題である。)、所論被告人Aの検察官調書二通にそのまま引き継がれ、その証拠能力を否定する結果をもたらすような違法性も認めるに由ないものというべきで原判決には結論において訴訟手続の法令違背がなかったことに帰する。

3・4 前記事実認定の五項乃至七項に認定した各事実に照らして検討すれば司法警察員堂山衛が被告人Aに対し強制、拷問若しくは脅迫を加えたり、これに準ずるような執拗極まりない方法で取調をしたり、又は違法な便宜、利益を与えてこれを不当に誘導してX殺害の教唆者名を供述せしめたような事情は認められず、従って前記五月一六日付同被告人の司法警察員に対する供述調書の記載、ひいて所論二通の同被告人の検察官に対する供述調書の記載にも任意性を欠くとの疑を容れる余地はなく、また所論二通の検察官調書について所論のように右堂山警部補及び高木検事の取調方法が不当であったり、その内容が粗雑であったりするため直ちに刑事訴訟法三二一条一項二号のいわゆる特信状況に欠けるなどとはいえないことは明らかであって、右特信状況欠如の主張は所論二通の検察官調書の信用性を云々して事実の誤認を主張するものにほかならず、畢竟控訴趣意第二点と同一の主張をすることに帰する。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について《省略》

(裁判長裁判官 辻下文雄 裁判官 石川哲男 阿部文洋)

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